バザールとしての音楽ジャンルは可能か? ~Gorgeとオープンソース、そしてクライミング
文:Alex Ondra
訳:GORGE.IN編集部
初出:『Gorge Out Magazine』 2015年10月28日
本記事はGorge Advent Calendar 6日目の記事です。
http://www.adventar.org/calendars/802
特異な発展を遂げつつあるGorgeという音楽ジャンル。最近では日本のGorgeレーベル「GORGE.IN」からultrademonの別名義thiefistのEPがリリースされたことで大きな話題を呼んだ。
また、日本の伝統的なリズム・フォーマットと言われる「ONDO」をフィーチャーした『Ondo Dimensions』でONDOの最先端アップデートがショーケース的に陳列され、国内外から驚きをもって迎えられている。
あらゆる音楽を貪欲に飲み込んでいく謎めいたジャンルであるGorge。そのクライミング・カルチャーとの親和性についてはこれまで何度も語られてきたが、プログラミングにおける「オープンソース」というカルチャーと非常に近しい関係にあるのではないか、という疑惑がある。Gorgeとは「オープンソース・カルチャーとして音楽ジャンルが可能か?」という挑戦なのではないか? という仮説である。
この記事ではこの仮説について、DJ Nangaの最新インタビューも交えて検討してみたいと思う。
そもそも私がこの仮説を立てた発端は2つある。
まず1つが、オリジネーターであるとされるDJ Nangaが定めたGorge Puliic Licenseだ。
1 Use Toms (タムを使え)
2 Say it “Gorge” (それをゴルジェと言え)
3 Don’t say it art (それをアートと言うな)
このライセンスを適用した音楽が「Gorge」である。
というのがGorgeの定説であるが、そもそも音楽ジャンルに「ライセンス」という概念を適用するということが非常にプログラミング・カルチャー的であると言える。
そしてGorge Piublic Licemseの略称はGPLである。
GPLとは何か? 少しでもソプログラミングを囓ったことのあるものならば、通常はそれは「GNU Public License」のことだと思うだろう。
単なる略称の偶然の一致、であろうか?
さらにDJ Nangaはもともとこの3つの条項を「Lesser Gorge Publlic License」(LGPL)としてリリースしていたという証言もある。
Gorgeはただ、そこにある 〜DJ Nangaインタビュー
http://gorge.in/?p=72
同じようにGNU Pulic LicenseにはLesser GNU Public Licenseが存在し、その略称はLGPL。明確な意図を感じざるを得ないところだ。
そしてもう1つは、DJ Nangaの初期トラックにおいて頻繁に「バザール」という単語がタイトルに用いられていることである。例えば以下のトラックだ。
- 「Go to the bazzar and the wall」」(『Gorge Study』収録)
- 「Gorge and Bazzar」(コンピレーションアルバム『E12』収録)
- 「Crack on the bazzar」(コンピレーションアルバム『Centry Crack』収録)
「バザール」という単語からすぐに連想されるのは、エリック・レイモンドがLinuxコミュニティのオープンソース開発スタイルについて分析した「伽藍とバザール((The Cathedral and the Bazaar)」である。クローズドな場所で、計画に沿って少数のプログラマが開発することによって高い品質のソフトウェアができる、という開発スタイルを「伽藍」(Cathedral/大聖堂)方式とし、それと対比して、レイモンドはLinuxコミュニティのオープンソース開発スタイルを「バザール」」方式として分析している。
だから リーヌス・トーヴァルズの開発スタイル――はやめにしょっちゅうリリース、任せられるものはなんでも任して、乱交まがいになんでもオープンにする――には まったく驚かされた。静かで荘厳な伽藍づくりなんかない―― Linux コミュニティはむしろ、いろんな作業やアプローチが渦を巻く、でかい騒がしいバザールに似ているみたいだった(これをまさに象徴しているのが Linux のアーカイブサイトで、ここはどこのだれからでもソフトを受け入れてしまう)。そしてそこから一貫した安定なシステムが出てくる なんて、奇跡がいくつも続かなければ不可能に思えた。
このバザール方式がどういうわけかまともに機能するらしく、しかもみごとな結果を生むなんて、衝撃以外の何物でもなかった。
このようにLinuxというOSを作り上げた「バザール」 方式の「はやめにしょっちゅうリリース、任せられるものはなんでも任して、乱交まがいになんでもオープンにする」というスタイルをDJ NangaはGorgeという音楽ジャンルに適用しようとしていたのではないか? と私は考えている。
実際、彼がクライミングバムとして各地を放浪する傍ら、プログラミングで生活の糧を得ていたという証言もあり、またかつて以下のようにDJ NangaがGorgeへのコミットインタビューで語っている。
「Gorgeに関してのコミットは、各人の個人的な動機に沿った個人的ものでまったく構わないと思っている。すべてはオープンに開かれているんだ。Gorgeトラック制作はもちろん、批評や写真、動画、ちょっとしたコメント、うわさ話、批判、ローカライズ、バグフィックスなど何でもいいんだ。とにかく早めのコミットと頻繁なリリースが大切なんだ。その1つ1つのリリースをする人がオリジネーターであり、Gorgeそのものなんだよ」
『Sound&Climbing Magazine』2011年8月号より
http://www/soundclimbingmagazine.com/ERR_NAME_NOT_RESOLVED
ここでは、「バグフィックス」というソフトウェア開発用語を使いながら、いわゆる「バザール」的な音楽ジャンルについて語っているように見える。
そして、最も興味深いのは、実際のところGorgejはそのように発展してきたところだ。Gorgeとは何か? その答えは限りなく明瞭で、件の「GPL」を満たすものであること。勝手な解釈も、コンフリクトも、マージもフォークもすべて許容されている。全世界の人々の自由なコミットによって、「いろんな作業やアプローチが渦をまく、でかい騒がしいバザール」として機能し続けている。
そして冒頭に述べたようなUltrademonによるシーパンクとの「マージ」が発生したり、また日本ではゴルジュークという「フォーク」したプロジェクトが発生したりと、ありとあらゆる手段によって騒々しく日々バージョンアップし続けているのが「Gorge」という生き物なのだ。
▲日本でゴルジュークを展開するGEORGE JUKEMURA (熟村丈二)の『THE BEST HITS OF GEORGE JUKEMURA』。彼は自分がゴルジェのオリジネーターでもあることも主張している(heathazeインタビュー http://heathaze.tokyo.jp/2015/10/georgejukemura/)
果たして真実はどうなのであろうか? 私はDJ Nangaに直接この仮説についてメールで尋ねてみることにした。以下は彼の言葉を交えながら紹介していこう。
「Gorgeは可能な限りにオープンにしたい。
そのためにジャンルとしての曖昧さは排除したのさ」
▲日本でDJ Nangaでの目撃情報を基に書かれた肖像画(本人かどうかは定かではない)
「”伽藍とバザール”、そしてLinuxコミュニティのあり方に影響を受けたことは事実だよ。ただ、それに対してあまり長々と説明することはしたくないな。自分はGorge Public Licenseを定めたことは確かだけど、それ以上でもそれ以下でも無い。サッカーのルールを決めたヤツがサッカーのオリジネーターって言わないのと同じで、俺がオリジネーターというのも否定したいと思っている。できるだけアイディアに制限をかけるようなことはしたくないんだよ」
そう語りながら、最初期にGPLを定めたときのことについてこのように語ってくれた。
「そもそも音楽はそういうオープンソース・カルチャーなところがあると思っていて。世界のさまざまな音楽家がそれぞれの音楽ジャンルを自由に発展させながら作っていってるだろ? でもある程度発展していくと「これはXXXじゃない」「●●●を踏まえないと×××じゃない」みたいな、その音楽をやるためにコミュニティによる了承とか伝統みたいなものが出てきて、オープンさが損なわれてしまって閉鎖的になっていくものをいろいろ見てきて。Gorgeは可能な限りオープンにしたい、ということであえて最初にその辺の曖昧さを排除したかったんだよ」
「整合性は求めるな。それは後から誰かがやってくれる。
まずコミット・リリースすることが大事なんだ」
オープンソースでは「ソースコードをオープンにする」ことによるオープン性の確保が、「音楽ジャンルとしての定義を明確にする」ことで可能なのではないか? ということがDJ Nangaのチャレンジであるようである。DJ NangaはさらにGorgeへのコミットについてこう語る。
「何度も言ってることだけど、それぞれの人がどういうモチベーションで、どういう手段でGorgeにコミットするか、というのは本当に自由だ。さらに言えば、動機なんて無くてもいい。ただ「Gorgeを作った」「Gorgeについて何か書いた」、「なぜなならそれをやりたかったから」、というだけでいいんだ。整合性は求めるな。後からきっとそれは誰かがやってくれる。まずコミット・リリースすることが大事なんだよ」
このような考え方についてDJ Nangaは、クライミングからの影響が多いと語る。
「山とか岩を登るヤツは、ほとんどはただ「これを登りたい」っていうだけのモチベーションでやっていて、それが最高に楽しいからやっているだけなんだよ。そうしてその熱量の総体がクライミングというもののレベルを押し上げ続けている。その世界にハマって音楽をやったとき、なぜその音楽を作るのか、その音楽がどういう影響を持つのか、それに対してどう思われるか、みたいなのを気にするのが面倒になって(笑)。ただやりたいからやる、Gorgeを作りたいから作る。それをベースにした音楽ジャンルがあったらどうなるだろう、という興味はすごくあったね」
では、GorgeはLinuxコミュニティのようなオープンソース・カルチャーを目指すのだろうか? それに対しては、DJ Nangaは「それは違う」と明確に否定した。
「当然のようにソフトウェア開発と音楽はまったく別物だしね(笑)。影響を受けたのは確かだけど、同じことをやってうまくいくわけがない。俺はリーヌス・トーヴァルズになりたいわけじゃないし。GorgeにはGorgeに適したアーキテクチャやプロセスがあると思っている。それは誰かから借りるものじゃない。それはどのようなものかも含めてまだ完成はしていないし、アップデート・バージョンアップしていく過程なんだよ。その過程も含めてオープンにコミットしてもらいたいと思っている。それも含めて楽しんでいければ最高だよ。つまりはEnjoy Your Gorgeってことさ」
Gorgeというジャンルの魅力は、その進化プロセスさえも常にオープンに、そしてダイナミックに変かし続けることにある。明日Gorgeがどうなっているかは誰にも予想できないし、それを変えるのはこれを読んでいる貴方かもしれない。そしてこの記事もそのダイナミズムの一部としてGorgeを進化させるコミットの1つである。Enjoy Your Gorge!